1931年、イスラエルに生まれたニッサン・インゲルは、エルサレムの名門であるベザレル美術学校を卒業後、フランスのストラスブールにある国立東部演劇センターで舞台装飾、衣装を学ぶ。
'50年代前半にパリに移住、絵画創作活動と同時に様々な舞台美術や衣装の制作も手掛けていた。'60年代には数々の個展を成功させ、65年にニューヨークに移住。10年間、創作活動に専念した。ピカソ、カンディンスキーなどのヨーロッパのアーティストやニューヨークの抽象画家からの影響を受ける。また聖書やユダヤ教のシンボルにも興味を持ち、ニューヨーク、ニュージャージー州、メリーランド州にあるユダヤ教会のステンドグラス制作の依頼も受けた。
'75年、再びパリに戻り、新たな作品の表現方法を模索する。そしてパリのノミの市で見つけた古い楽譜からヒントを得た方法で、音楽表記のコラージュ(切り貼り)を用いた。それはまるで交響曲を奏でるように美しいハーモニーとなって表現される。子供の頃からフルートを習っていた彼は、オペラをはじめ色々なジャンルの音楽に精通している。
「創作のためには努力を怠らない。それは自分自身への挑戦でもある。そして人生は全てを達成するには余りにも短すぎる」と語る。 日本ではブリジストン美術館に作品が所蔵されている。
2016年11月 永眠
~絵を聴き、音楽を観る~
コラージュを用いて音楽と絵画という異ジャンルの芸術を融合させ、独自の表現手法を自らのものとした、ニッサン・インゲル。彼の芸術の世界において欠かせない3つの要素。
1975年アメリカから再びパリの地へ戻ったニッサン・インゲルは、アメリカで掴みかけた新たな表現手段を模索していた。そんなある日、パリのノミの市で出逢った手書きの古い楽譜の音符が、自分が描いてきた飾り文字に似ていることに気付く。
ニッサン・インゲルの芸術に欠かせないひとつの存在。それが音楽である。彼は音楽から何かを享受し、絵に描くことでそれらを昇華させる。つまり、彼にとって音楽は”受け取る”ことであり、描くことは”与える”ことなのである。
ニッサン・インゲルの作品の多くは上部と下部から構成されている。広く取られた空間に光が満ちた上部には、想像や願望、夢などが託されている。逆に下部には重厚で物質的、あるいは肉体的な成果が表現されるという対照性をなしている。